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日々雑感のブログです。
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真摯さと自由と幸運と


あけましておめでとうございます。

新しい年をどのように迎えられましたか?
私は年始早々にインフルエンザで休養を余儀なくされましたが、
おかげさまでゆっくりした時間を過ごせました。

年末は軽井沢へ行って来ました。
なんと17年ぶりの小旅行です。
色々な事情があり、仕事以外で家を一晩空けることは
この17年、ありませんでしたから、とても新鮮に感じた
のも事実です。

そこではアイスホッケーの試合を見てきました。
若者たちが楽しげに、チームで戦っている姿を見ると
スポーツの結びつきの良さを感じます。
自分がそれをあまりしてこなかっただけに、
羨ましくもありました。



そんなこんなの年末でしたが、久しぶりに環境が
変わったこともあり、感慨にふけることもできました。

あらためて思ったのは、
今、ここにいることのできる自分が、
いかに恵まれ、いかに幸運であるか、ということでしょう。

それだけでも幸運であるのに、
自分と同じような思いを持つ人たちとの結びつきができ、
尊敬する多くの人たちと心触れ合う時間が持て、
好きな人たちに囲まれている、
という幸運です。

ほんとうに、みなさん、ありがとう。



私がお付き合いさせて頂いている多くの方々は、
それぞれに個性豊かで、違った強みを持っています。
研修担当として、あるいは間接的な仕事上での出会いであったり、
プライベートなことがきっかけで出会ったり、
きっかけはそれぞれですが、
こんなにたくさん、素敵な方達と繋がっていられる
ことに、有り難さを感じざるを得ない気持ちです。

そして、みなさん、個性は違っていても、
目の前のことに真摯に向かうことのできる人です。

真摯な人は、
言い換えると、自由な人です。

今ここで、何を選択するか、
それを自分で決めることができ、
その選択の結果にも責任を負える人は、
自由な人と言います。

偶然ですが、半年前に下書きとして保存していた言葉があります。

『己れ自身を統治しえぬ者は自由にあらず』
(エピクテトス・奴隷から哲学者になった古代ローマ人。1c.)

自己実現という言葉は難しいですが、
自分の目の前の小さなこと、
例えば、
あの人に、今日は何も言わずに笑顔で過ごそうか、
あるいは、敢えて冷静に苦言を言おうか、
あるいは、ここを去るか、
あるいは・・・
あるいは・・・

たくさんの選択肢があり、
どれが正しいということはありません。

(もしも、これが絶対に正しい!というのがあるとすれば、
 それは例えばこの国もしくは地球上レベルで言えることで、
 他の国、もしくは火星では通用しないでしょう。)

最終的に正しいか正しくないかは、
自分の心と思考が決めます。
そして、行動を決めるのも自分です。
その結果に対して責任を取るのも自分自身です。

それを全て引きうけて、
決められる自由さこそが、
生きることへの真摯さではないかと思うのです。

なんだか偉そうに語ってしまいましたが、
そんなに立派なことは私自身ができません。
でも、小さな出来事が目の前に来た時、

「そう、本当は私は、選べるのだ」

と思っただけで自由になれるというのは事実です。
それだけで、目の前のことに真摯であるといえると
思うのですよね。

長々と脈絡もなく書きましたが、
そんなこんなの新年の私の思いです。
相変わらず不定期な、分かりにくい文を
書いてしまいますが、
本年も、どうぞ宜しくお願い申し上げます。



追伸:そうそう。FACEBOOKに個人名で登録しています。
   そこには写真と一行程度のコメントはたまに書いています。
   宜しければ、リクエストメッセージを下さいませ。





大人力(おとなりょく)
半年のご無沙汰をしてしまいました。

この半年、多忙だったこともあるのですが、
blogに原稿を書くというエネルギーが不足していたことが大きな要因です。

本人はそれほど変化がないと思っていても心は正直なもので、
いざメッセージを発信しようというときには、
そのまっすぐなエネルギーが出てきにくいことがあります。

無理に書こうとしても、そこにエネルギーが満ちていないので、
そのままそれを伝えることにも抵抗があり、
結局お休みするということになりました。

・・・とまぁ、言い訳はこのくらいにして。笑。



書きたいと思うテーマは、日々湧いてきました。
今日は、その中のひとつ・・・この春の体験です。

ある企業の中途採用メンバー20名ほどの研修を担当しました。
20代後半〜40歳くらいまでの営業マンを中心にしたメンバーで、
応募総数600名を超える中で選抜された方々です。

一体どんなにエリートな集団なのだろう・・と想像していました。
ある意味、予想外、ある意味予想通りのエリート集団でした。

予想外というのは、エリート臭がしないこと。
予想通りというのは、本当の意味のエリートだったということ。

ある40歳の男性は、パリッとしたスーツ姿、
表情や態度にも自信が伝わります。

その方に、オールバックの髪型やスーツの柄について、
私なりの感想をお伝えしました。

普通なら、自信に満ちて身につけてきた外見に、今更
色々言われることには抵抗があるでしょう。
それに最年長で、皆からの信頼も集める人です。

しかし、そこが大人です。
「あ、そうですかぁ、なるほど。自分では気づきませんでした。
 ありがとうございます」と、謙虚に、そして作るでもない
まっすぐな表情で反応が返って来ます。

だからこそ、今まできっと、多くのお客様から信頼を
得て来られたのだろうと、確信しました。

そのクラスの皆さんは、数週間にわたって一緒に研修を受けています。
ある意味今後はライバルになる方々ですが、そのクラスのまとまり方は、
また温かくさっぱりとしたものでした。
お互いに教え、教えられしています。

自分の苦手なことは、得意な人に屈託なく聞ける。
知らないことは知らないと言える。
感謝ができる。



こういう力を「大人力」というのでしょう。

自分に真のOKを出せる人は謙虚になれ、
人の意見を素直に聞き入れる懐の深さがある。

その後半年が経ち、
「みなさん、どうされていますか?」
と担当者に伺ったところ、
「いやぁ、バリバリ現場で頑張ってますよ」
という返答。

さもありなん。

この出会いに感謝あるのみ。

季節のように
つい先日まで雪が降っていましたが、
今朝、公園の陽当たりの良いところにある
桜の木に、ぽつぽつ花が咲き始めていました。

季節は予定通りにやってくるのですね。



巡る季節のように
時間が過ぎて行きます。

時に残酷に思え
時に癒してくれる
そんな時間の巡り。

時間も
自然も
人も
原点は同じと考えると

私はその一部
それらは私の一部

嫌いな人も
好きな人も
今日出会ったばかりの人も
遠くの知らない人も
動物も植物も。

だからいろいろ不満はあっても
基本的にはみんな愛そうと思っています。



私は時の一部
時は私の一部

私はあなたの一部
あなたは私の一部

遠く離れていても
祈りを送ります。

時間の巡りの中で
希望の光が足元に注いでくれますように。

地震の被害に遭われた全ての皆様に
心からの祈りを。ただただ送ります。

努力の効罪
今日で二月も終わり。
二月は逃げる、と言いますが、本当です。
お元気ですか? 
花粉症の方には辛い季節が始まりますね。
春待ちの公園にはまだ渡り鳥が浮かんでいます。



さて、脳の「尾上核(びじょうかく)」
という場所を御存知ですか?
プロのピアニストが指使いなどを訓練
する際に反応する場所らしいです。
繰り返し訓練することに関係する
という場所らしいです。

最近、その場所が「ひらめき」
に関わるらしいと聞きました。
プロ棋士が「はっとひらめく」瞬間に
この尾上核が関わるのだとか。

つまり、日常の訓練や繰り返しを続けると、
ひらめきにつながる、ということですね。
まさに天才は1%の才能と99%の努力、
ということでしょう。

「努力は裏切らない」という言葉も、尊敬する
ある方がおっしゃる言葉です。
その通り、と思います。



ただ最近、努力もその成果の使いようによって
罪になることがある、と感じました。

毎日、毎日、同じことを繰り返すと、
その仕事が上手になります。
何も考えなくても出来るようになります。

そうすると、脳は楽をしようと手抜きを始めます。
パターン化です。人はパターン化するものだ、
と心理でも言います。人生脚本と言われる、
その人のパターンが、まさに人生をかけたパターンです。

職場では、それが時として「ロボット化」を呼びます。
考えなくても動けるようになると、考えなくなる。
決められた動きをして、目の前の変化に対応しなくなる。

しかし、サービスや人間関係はひとつとして同じ
ものがありません。だから面白いのですが。

サービス7つの大罪、というのがあります。
無関心・無視・冷淡・子ども扱い
ロボット化・ルールブック・たらいまわし です。

ルールブックも、考えないことの典型ですね。
つまり、自分達のルールを優先し、相手の要望を
無視することです。

「守破離」という言葉にあるように
ルールを学び守れたら、次はそれを破り離れる
ことがプロとしての成長でしょう。

さて、もうひとつの「努力の罪」は
「頭の中」で起こることです。
「がんばらないと」「努力しなければ」・・・と、
頭の中でだけ努力し、行動化しないことです。
本人はとても辛い・・でも実益がない、というものですね。

「頑張る人は偉い人」
という価値観もある意味大切ですが、
その頑張り方にもいろいろあるということでしょう。

私も頭の中で「努力する」ことが多々あります。
そんな時は、「一つできたらOK」
と言い聞かせて行動するようにしています。
時には「ぎりぎりにできるのだから、ぎりぎりまで
考えなくていい」と言い聞かせることもあります。笑。

努力も使いようですね。
みなさんはいかがですか?
磨く
2011年 あけまして おめでとうございます
ご挨拶が遅くなりましたが
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます

今年はどんな年になりますでしょうか?

いえ、どんな年にしましょうか?



先日、テレビで小澤征二さんが食道がんを克服され、
復帰された映像を見ました。
復帰されたものの、持病の腰痛が再発したため
「サイトウ キネン オーケストラ」での
久々の指揮を途中で降板され、
短い曲のみを指揮することになりました。
リハーサルは鬼気迫るものでした。

オーケストラメンバーの前で
降板することを伝えた際、小澤さんの
「I want to play・・」
という言葉にメンバーは涙したそうです。

音には妥協を許さないけれど
オーケストラメンバーの一人一人を仲間として尊重し、
肩をたたきながら挨拶し、丁寧な言葉で話す小澤さん。
「何十年演奏した曲にも新しい発見があるんですよ」と。
そして「音楽は命とつながっていると思うんですよ」とも。

世界の宝と言われる人は
やはりこういう人なのだと。

普段は何気なくしている日常のあれこれ。
「ちょっとしんどいなぁ」と思いながらしている仕事。

でも、いろいろな人のおかげで
こうして今日の自分があります。

たくさんの人に感謝。
こうして与えられていることに感謝。
今、ここにいられることに感謝。

だからこそ。

自分をバージョンアップ。
「磨く」自分でいよう。

そんな今年にしたいと考えています。
ウサギとまでは行きません。
亀のようにひとつずつ。

本年も懲りずに
よろしくお付き合いください。
とかくこの世は
いよいよ寒くなってきましたが、
お元気でしょうか?

年末に向けてスパートをかけていらっしゃる方も
多いことと思います。良い結果が出ますように。



さて、最近散歩をしながらぼんやりと景色を眺める
機会があって、ふと気付いたのですが・・・

黒や赤で書かれた「○○禁止」「○○しないでください」
といった張り紙がやたらと多いなぁということです。

最近はコミュニケーション力が下がり、
自己中心的な行動をする人の割合が増えてきたと
聞くこともありますが、その対策なのでしょう。

それにしても、そんな無粋な張り紙を見るたび、
「・・・とかくこの世は世知辛い」と感じてしまう私です。

本当に守れないと迷惑がかかることや命にかかわることは
注意書きとして必要かと思いますが、それの枠を超えたものも
多いように思います。
皆が評論家になりつつある世の中。

広い公園でお年寄りがハトにお米を一握りやることも「禁止」
というのはファジーの通じない世の中になったものだと。

大事は「理」で決め、
小事は「情」で決められるのが真のリーダーであると、
私の師は言います。
そのあたりのファジー判断ができなくなって、
なんでも「理」で、それも匿名で張り紙をする、
その不器用さが残念に思えます。
せめて張り紙の言葉にも「情」があればと。

ファジーのできる人を育てるためには、
たくさんの体験が必要です。

最初はマニュアルで教えていき、
次にはファジーのケーススタディをたくさんさせる。
そしてその次はファジーの決断をできる人になり、
その理由を毎回言葉で説明できる人になる。
そんな順番で、人は育つのだろうと思います。

その基本は「相手の立場を想像できること」です。
つまり「情」であり、
「愛」なのですよね。

ちなみに、無粋の反対語「粋(いき)」は
「さりげないこと」だそうです。

寒さが増していきます。
年末に向けて、お身体に気をつけてお過ごしくださいね。
愛と依存は見分けにくい
この二日ほどで近所の公園の紅葉が一気に進みましたが、皆さんのところはいかがですか?
明日は天気が良ければ、写真を撮りに行きたいと思っています。(原稿をそっちのけで。笑。)



さて、最近twitterでも呟いたテーマですが、
ある講座の中で話題になったことを一つ。

「愛」と「依存」について。

テキストで「子どもの将来を想像してわくわくする」
という文章を読み、それは交流分析で言うところの
どの部分の機能なのか、という問題がありました。

交流分析では、心を三つの部門に分けます。
「親」のように、相手に視点が向いている部分。
「成人」のように、客観的に今ここを見る部分。
「子ども」のように、自分に視点が向いている部分。

子どもの将来を想像する、という部分には、
「親」として子どもの幸せを願う、という心情と
「子ども」のような心で単純に空想を楽しむ
という心情があって、それがどちらかなのは、
本人のその瞬間にしか分かりません。

では、「大切な人を失う悲しみ」
を考えてみるとどうなるでしょう。

大切な人が苦しい思いをするのではないか、
なんとかしてあげられないものか、
と考えると、視点が相手にあります。

その方法論は、今ここを見る目です。

大切な人がいなくなったらどうしようかと思う、
というのは、自分に視点があります。

両者含めて男女の場合、
「愛し合っている」
と表現する場合が多いですが、
あなたはどう思いますか?

「依存」と「愛」の境目は
現実にはとても分かりにくいものです。

「子どものことを思って」という言葉の裏に
「私が不安だから」はないでしょうか?

「君がいないと生きていけない」は
恋愛の言葉としては心動かすものがありますが、
果たして「愛」なのか?

恋に燃えている人に水をさすつもりはありませんよ。(笑)

でも、「愛」には
自分自身に対しても、相手に対しても責任が伴うこと。
ベクトルを相手に向け、その幸せを願うこと。
そんなものが含まれていると思うのです。

私流に表現すると
「祈り」に近いものです。

依存と愛は両方あっていいのです。
ただ、依存を愛と勘違いしないように。
分けておくことは大切。

私はそう思います。


どうぞお元気でお過ごしください。


御無沙汰しております。

めっきり秋らしく
というのか
秋の終わりのような気候になりましたが
お元気ですか?

このところ原稿の仕事が重なり
パソコンに向かうのですが
なかなか進まない日々を過ごしています。

そんな中でも、唯一朝の散歩だけは
なんとか続いています。

先月のある日のことです。
亡くなった知人のことを思い浮かべていました。
ちょうど三回忌命日の翌日のことです。

亡くなった直後は、信じられない思いで
哀しいのか、何なのか、
分からない感覚でした。

でも、その日の朝は
なぜかその人のことが思い出され
胸が熱くなるのを感じながら歩いていました。

その次の瞬間
顔を空に向けると
大きな虹が正面に。
驚きと同時に
また涙が溢れました。



人や動物が亡くなると
虹の橋を渡ると言いますね。

その知人は、空の上から
「もう虹の橋を渡るから」
と言っていたのではないかと考えながら、
どこからも見えるその虹を
追いかけながら歩きました。

虹の橋の向こうで
また会おう。

それまでの間
私たちは
もう少しこの世で
生きて行きます。

与えられた時間を大切にしながら。
年輪
9月になっても、今年は暑いですね。
少し涼しい日があって、また暑くなると、
ますます暑さがこたえます。
お元気ですか?

最近、公園の中を歩いていて、
たくさんの木々の存在にあらためて気づくことがあります。

木を見上げていて、ふと思いました。
「この木は、いったいいつからここにいて、
何を見てきているのだろう・・」

屋久島の翁杉が2000年の樹齢で倒れたと聞きました。
2000年と言わずとも、身近な木々が50年、100年と
私たちを見続けているのですよね。



この木の年輪の中の、どこからどこまでが
私の人生なのだろう。。。などと考えると、
不思議な感覚です。

公園の木の年輪の一部には、私の人生もあり、
木の下を通る様々な人の人生もあることでしょう。

私という人間に年輪があるとすると、
私の中にある年輪の一つ一つには、
様々な経験と出会いが刻まれているはずです。
良いことも、良くないことも含めて、
それらが自分自身の年輪となる。
そうして、様々な出来事や人との出会いが
私自身となっていく。



私以外、誰も知らないことはたくさんあります。
でもそれらが今ある自分自身という年輪となり、
証拠として、形として残るということですよね。

一年の年輪はほんの数ミリ。
数ミリの中の凝縮した時間。

大切にしたいものです。
手紙
お盆の時期と重なり、夏の終わりのもの哀しさとともに亡くなった人を思います。この季節になると、戦争にまつわるテレビ番組も多く放送されます。

ある番組で、戦地からの手紙を今の大学生が読む、というゼミが紹介されました。厳しい検閲を潜り抜け、戦地から妻にあてたラブレターには「お前が私を愛しているよりも、私がお前を愛していることでは負けない」という言葉が綴られています。感想を聞かれた女子学生は「私なら、こんな手紙をもらったら嬉しいのと、こんなに書いてもらうと、ちょっと恥ずかしいような気持ちになります」と述べていました。

また、ある大学生は、「今はメールやツイッターですぐに返事が来るけど、手紙は何日かかかって届いて、そしてまた何日かかかって返事がくるというものですよね。時間がかかる。でも、この手紙のインクのにじみなどを見ていると、手書きの文字の向こう側に、書いた人の気持ちがあるような気がします」とも述べています。
「手紙」そのものに対する感想としては、その通りだと思います。
そうか・・手紙を書かない世代には、手書きの手紙そのものが、すでに珍しいものになりつつあるのですね。



私自身も戦争を知りません。ただ私たちの世代も、自分達の子ども世代、そのあとの世代にも、戦地からの手紙が、死を覚悟した人たちからの静謐なメッセージであることを、しっかりと読みとりたい、読みとって欲しいと願います。

妻に普段なら言えないような言葉も、生きて帰れないかもしれないからこそ、言えなかったことを言っておきたい一心で書いたことでしょう。受け取る方も、まるで遺書を読むような気持ちで抱きしめたことでしょう。
戦地への手紙は、もしかしたら届かないかもしれない。そして届くとしてもたぶん1カ月以上かかって手元に行ったのだろうと想像します。返信も同じく、と考えると、数日単位の音信不通も不安になる今のメールとは、ずいぶん違っています。

画家の夫から妻に送られた絵手紙は、鮮やかで美しい色合いの南の島の風景でした。画面からは美しい島の様子が見えますが、たぶん描いているご本人の目の前には、もっと切実な現実が見えていたことでしょう。それでも美しい絵を送り続ける思いを想像します。

父親から幼い息子に送られた「○ちゃん新聞」というハガキにも、カラフルでユーモラスなイラストが入り、まるでおとぎ話を聞かせるような文が小さな小さなカタカナ文字でつづられています。いつか、この子が字を読めるようになったら、という思いだったのか、いずれにしても、父親の愛に満ちたハガキです。その子は当時赤ん坊。そして4歳になったときに、お父さんは29歳で戦死します。

この、心の豊かさはどこから来るのか。
死を切実に感じるほどのところに行った人だからなのか。

私はどうか。。。

自分を省みることで、
命を思うことで、
亡くなった人を覚えていることで、
感謝を伝えられるだろうか。

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