ドラマ三角形
風薫る5月、いかがお過ごしでしょうか。
といっても、今年の気象は複雑ですね。
色々な被害にあった地域の方にお見舞いを申し上げます。

さて、今日は交流分析の「ドラマ三角形」について、少し。
人間関係の中でなんだか不愉快だな、
もしくはいつも同じパターンだな、と感じる出来事は結構ありますね。
上司部下の場合、
「○○、あの企画書はまだなのか!」とイライラする係長に、
「あ、すみません!あのー・・月末で良いとお聞きしていたので・・・」
と応える部下。
「ほんとに、わかってないなぁ」と拍車をかける係長。
今度は主任が
「係長、私も手伝いますので・・・」と仲裁に入る。
すると、係長の怒りの矛先が主任に向かう・・・
というパターン、ありそうでしょうか。
こういうのを、ドラマ三角形といいます。
役割を見てみると、
相手を責める「迫害者」
責められる「犠牲者」
助けようとする「救済者」 この3つです。
よく相手を責める人、
責められる、もしくは責められなくても自分を責める人、
見ていられなくて助けようと手を出す人、
この三つの役割がそれぞれ交代しながら
延々と不愉快なやり取り、人間関係を続けるというものです。
それこそ、テレビドラマにも、その役割がはっきりされていて
分かり易いストーリーに人気が出たりしませんか?
それは、自分に照らし合わせて、
どの立場も分かるからではないかな、などと思います。
そして、もしも自分自身が、自分の人生において、
お馴染みの「役割」があるとしたら、どうでしょうか。
迫害者は、相手の欠点を見つけては責めたくなります。
なぜなら、責めている間は自分の欠点を見なくて済むからです。
責めている間は「してやったり」の気分に入るのですが、
状況が変わらないと犠牲者の気分になります。
犠牲者は、責められることや自分を責めることで自分の居場所を作ります。
犠牲者からは、救済者が魅力的に見えたりします。
助けを求めて、うまく行く時は良いのですが、
うまく行かなくなると、「あの人のせいで」と迫害者にまわることもあります。
救済者は、相手には問題解決の力がないと思って手出ししようとします。
そして、自分は優しいと思っています。
もしも、誰かから相談を受けて、その人から
「Aさんにこう言われました・・・私はどうしたら・・」
などと聞いて、思わずAさんに対して怒りが出て、
なんとかしてあげたくなったら、救済者から一気に迫害者にまわり、
Aさんを責める行動を起こしたくなるかもしれません。
誰もが全ての立場に立つことがあります。
ここで、誰が先に気づくかです。
人を援助する仕事の人は、
このドラマ三角形に入らないようにと戒められます。
これに入ってしまうと、「依存関係」が生まれます。
ただ、今何が起こっているかを整理するお手伝いをします。
そういう意味では、救済者になっていないかどうかの
チェックが難しいかもしれません。
踏み込み過ぎないこと、これは親子でも難しいですね。
自分も含めて、人には必ず解決の力が備わっている。
そして、今のやり方以外の、「代替案」が必ずある。
辛いのは、犠牲者のところにいるときでしょう。
自分を責めて、自分には解決の力がないと思い、
他にはやり方が浮かばないと思って落ち込みます。
こういった三角形のやり取りの最後は
みんなが犠牲者で終わることが多いのです。
では、犠牲者のポジションに行ったとき、どんな感情がありますか?
悲しみ、落ち込み、自己卑下、劣等感、孤立感、後悔、むなしさ・・・
それらの感情は、もしかすると、よく体験しますか?
もしも、それがいろいろな場面でよく感じる「お馴染みの感情」
であれば、それは、幼少期から、自分を守るために身につけた感情ともいえます。
不思議ですね。
人って、自分を守るために身につけて来たものを、
大きくなってから身動きが取れないほどに自分を窮屈にすることが
あるのですから。。。。
それをほどいて、自由な選択のできる自分でありたいものです。
これも、自戒をこめて。
季節の変わり目。どうかお元気でお過ごしください。
といっても、今年の気象は複雑ですね。
色々な被害にあった地域の方にお見舞いを申し上げます。

さて、今日は交流分析の「ドラマ三角形」について、少し。
人間関係の中でなんだか不愉快だな、
もしくはいつも同じパターンだな、と感じる出来事は結構ありますね。
上司部下の場合、
「○○、あの企画書はまだなのか!」とイライラする係長に、
「あ、すみません!あのー・・月末で良いとお聞きしていたので・・・」
と応える部下。
「ほんとに、わかってないなぁ」と拍車をかける係長。
今度は主任が
「係長、私も手伝いますので・・・」と仲裁に入る。
すると、係長の怒りの矛先が主任に向かう・・・
というパターン、ありそうでしょうか。
こういうのを、ドラマ三角形といいます。
役割を見てみると、
相手を責める「迫害者」
責められる「犠牲者」
助けようとする「救済者」 この3つです。
よく相手を責める人、
責められる、もしくは責められなくても自分を責める人、
見ていられなくて助けようと手を出す人、
この三つの役割がそれぞれ交代しながら
延々と不愉快なやり取り、人間関係を続けるというものです。
それこそ、テレビドラマにも、その役割がはっきりされていて
分かり易いストーリーに人気が出たりしませんか?
それは、自分に照らし合わせて、
どの立場も分かるからではないかな、などと思います。
そして、もしも自分自身が、自分の人生において、
お馴染みの「役割」があるとしたら、どうでしょうか。
迫害者は、相手の欠点を見つけては責めたくなります。
なぜなら、責めている間は自分の欠点を見なくて済むからです。
責めている間は「してやったり」の気分に入るのですが、
状況が変わらないと犠牲者の気分になります。
犠牲者は、責められることや自分を責めることで自分の居場所を作ります。
犠牲者からは、救済者が魅力的に見えたりします。
助けを求めて、うまく行く時は良いのですが、
うまく行かなくなると、「あの人のせいで」と迫害者にまわることもあります。
救済者は、相手には問題解決の力がないと思って手出ししようとします。
そして、自分は優しいと思っています。
もしも、誰かから相談を受けて、その人から
「Aさんにこう言われました・・・私はどうしたら・・」
などと聞いて、思わずAさんに対して怒りが出て、
なんとかしてあげたくなったら、救済者から一気に迫害者にまわり、
Aさんを責める行動を起こしたくなるかもしれません。
誰もが全ての立場に立つことがあります。
ここで、誰が先に気づくかです。
人を援助する仕事の人は、
このドラマ三角形に入らないようにと戒められます。
これに入ってしまうと、「依存関係」が生まれます。
ただ、今何が起こっているかを整理するお手伝いをします。
そういう意味では、救済者になっていないかどうかの
チェックが難しいかもしれません。
踏み込み過ぎないこと、これは親子でも難しいですね。
自分も含めて、人には必ず解決の力が備わっている。
そして、今のやり方以外の、「代替案」が必ずある。
辛いのは、犠牲者のところにいるときでしょう。
自分を責めて、自分には解決の力がないと思い、
他にはやり方が浮かばないと思って落ち込みます。
こういった三角形のやり取りの最後は
みんなが犠牲者で終わることが多いのです。
では、犠牲者のポジションに行ったとき、どんな感情がありますか?
悲しみ、落ち込み、自己卑下、劣等感、孤立感、後悔、むなしさ・・・
それらの感情は、もしかすると、よく体験しますか?
もしも、それがいろいろな場面でよく感じる「お馴染みの感情」
であれば、それは、幼少期から、自分を守るために身につけた感情ともいえます。
不思議ですね。
人って、自分を守るために身につけて来たものを、
大きくなってから身動きが取れないほどに自分を窮屈にすることが
あるのですから。。。。
それをほどいて、自由な選択のできる自分でありたいものです。
これも、自戒をこめて。
季節の変わり目。どうかお元気でお過ごしください。















